「世代交代」


 いつだったか、平井知事の議会答弁に、「いつの時代にも変わらないのは、変わるということだ」というのがあった。
 この人は、折にふれて、意表を突くような警句を披露される。
 高校生の自立を求めての発言で、「手を洗うことが出来るのは、手だけだ」というのもその一例だった。

 世代交代とは、つなぐ(継ぐ)ことでもある一方、「変わる」ことでもある。
 日本的な世代交代の特色のひとつとして、社長が会長になり、そして、取締役相談役になるのが通例であり、これが、新社長が独自の新機軸を打ち出すのに障害になっていると言われている。
 相談役の「人によりけり」だろうが、一面の真理を突いている。

 「変化は進歩」。確かに、世代交代は、本質的には、変わることが求められているはずだ。そして、その環境を作るための最も有効な方法は、前任者が、現場から姿を消すことである。

 わたしが、30才そこそこで倉吉病院の院長になったとき、ときの理事長であった父は、長年お世話になった、当院の恩人である初代院長の辞意をあっさり受け入れ、破格の退職金でその恩に報いた。
 医師不足の折でもあり、わたしはそれに反対したが、入れられなかった。以来、父も理事長は継続したが、現場に顔を出すことはなかった。

 しかし、その父の決断が正しかったことは、半年もしないうちに明らかになった。院長交代以来、日夜、職員こぞっての、改革の連続だったからである。
 前任院長、理事長が現場を去られたことだけで、新しい時代が開けたのであった。

 とき至って、わたしが県議会を勇退したとき、後任の選任から、後援会に後継者として選ばれた長男の選挙に至るまで、一切関与しなかったし、現場にも顔を出さなかった。
 このわたしの態度に、周囲から不足を言われたが、わたしのやり方を変えることはなかった。

 父と子の関係は、エディプス・コンプレックスを持ち出すまでもなく、母親と違って、いずれは越えるべき目標であり、越えられるべき悲しき存在だ。
 それだけに、父親は、容易く越えられないように、偉大であるべく、最後の最後まで、努力することが求められていると思われる。
 子供達が、父親の背中を見て育つというのは、そのことを言っているのだろう。

 すべからく、世の後継者たちが、こころおきなく状況を変えながら、自ら成長していくことを、ひそかに願っている。


                                社会医療法人 仁厚会 会長
                                社会福祉法人 敬仁会 会長
                                         藤 井 省 三