昨年の夏は、まことに激しいものであった。地球環境がいっきに変わってしまったのかと
疑うくらい、激しい変化であった。
 われわれは、毎年、同じ季節が巡って来るように感じている。しかし、細かく見れば、「全
く同じ年はない」、というのが正しいのだと思う。
 「一期一会」。得てして我々は、この言葉を、人との出会いに使うことが多いが、じつは、
次の瞬間は、過去のどの時点とも違っていることを表しているに違いない。
 高齢社会の中で、我々が、生きていく意味を問われたら、この言葉ほど、説得力のある
言葉はないだろう。
 わたしたちは、明日は、これまで経験したことのない新しい一日を、毎日毎日経験して
いるのである。

 そして、日々が未知の世界を刻んでいる中で、一方では、自らの「アイデンティティ・
自己同一性」を求めて、もがいている人が少なくないようにも思える。多くの若者が関わ
る奇怪な事件がそれを象徴している。
 不安な社会のなかで、アイデンティティを求めるのは,ひとの本能のようである。それ
は、ひとが「安住の地」を求める行為に見える。
 人生が終わるまで、求め続ける自己同一性とは、それが完成したら、いっさいの不安が
消える、「彼岸」のようなものかも知れない。
 しかし、アイデンティティとは、求めて、求められないものであるように思う。
 大きく揺れる、正反対のものを認める振幅の大きな人は、夢を求め続ける人のように、
より高いアイデンティティを求め続けている人だろう。
 苦しいことだが、自分に懐疑的であり続けるべきだというのが結論だろうか。多様性を
認めるとはそういうことかも知れない。
 何処まで行っても対立はなくならない。その対立するものを認め続けるために、常に,「自
らに懐疑的であること」、それは、アイデンティティを求める旅である。すなわち、「人生
は、目的地のない旅である」。

 そして、これは、組織においても、国家においても、人類世界においても、あてはまる
言葉に違いない。
 いま、日本は、隣国中国の台頭によって、アイデンティティの危機にあるようだ。しか
し、同時に、これは、新しいアイデンティティを求める旅への出立である。
 多様性を認め、度量の広くて深い国家、日本。もともと、それは、中国から学んだこと
ではなかったか。
 経済は、効率と良質の製品・サービスと利潤を求め、たやすく、国境を越えていく。政
治はその後を必死に追いかけているようにみえる。
 日本と中国との間にあるとされる領土問題を、次世代にゆだねたケ小平は,そのことを
知っていたのかもしれない。
 そして、おなじときに彼は、「日本と中国が手を結べば、何でも出来る」という、きわど
い発言を残している。
 当時も、今も、中国から見た日本の評価は,日本人が思うほど低いものではない。少な
くとも、横浜APECのホスト国である日本の首相が、中国の主席や、ロシアやアメリカ
大統領との面会を,腰を低くして待たねばならない理由は見あたらない。
 日本は、自立し、自信を持って、世界に貢献する時に来ていると思われる。世界単一市
場,大競争時代に入った経済から、学ぶべきことは多い。

 かくして、新しい年が皆様にとっていい年でありますようお祈り申し上げる次第です。

「目的地のない旅」