成長と成熟のはざまで 

1. 私たちは、よい方向に向かっているのだろうか?!

 悲観的に見る人も少なくない。日本人は、何年か先には、だれもいなくなってしまうなどが
その典型例だろう。
 しかし、全てはいい方向に向かっている。一時的に運営を間違えて停滞しても、必ず、もとの
正しい軌道に返ってくる。それが日本社会であり、世界の姿である。
 成長は多様な姿をしている。人と同じように、社会も国も常に成長をし、進化をしているが、そ
れが、ときに停滞に見えることがある。たとえば、問題の経済や、少子・高齢化がそれである。
 経済についてみると、経済成長率が落ちると、われわれは停滞のように感じるが、実はそうで
はない。成長の一過程なのである。
 その意味で日本は一貫して、成長している。そして、再生し、進化する。
 難儀しているように見えても、日本は、現在すでに世界一の生活大国と言っていい。

2. 成熟と成長の熱狂の混同は問題。

 成長とは成熟のことである。われわれが、求めているのは成熟である。成長の熱狂はその過程
にある。
 最近の中国の熱狂は明らかに成長だが、それは、日本は昭和三十年、四十年代に、すでに経
過している。但し、中国が順調に成熟に向かうのは困難だと思う。それは、政治体制だけの問題で
はない。
 成熟には、一部、萎縮が伴っている。日本が、明らかに成熟期に入ったのは、「一億総中流」と
か「3K職種」などという言葉がはやりだしたころの、昭和五十年代である。
 バブル崩壊はそのずっと後にやってくる。
 バブルは、成長の熱狂と成熟の落差のはざまでおこり、その崩壊は、それが凝縮し、破裂する。
 日本経済の置かれた、いわゆる成熟経済に対する認識が足らなかった。行政は見通していた
が、政治がこれを御し切れなかった。
 しかし、結果的には、バブルに導き、破裂させ、後処理を誤って、不必要な借金を重ねなけれ
ば、現在の構造改革、財政再建路線はもっと遅れたかもしれない。

3. 少子化、おそるるに足らず。

 少子化と高齢化は本質的には関係がない。急速に寿命が延びた上に、少子化がかさなって、困
難な少子高齢化社会を迎えている。
 しかし、高齢者が増え、子供が増えた状態がはたして、いい状態だとばかり言えるのだろうか。
 少子化は、社会の発展の当然の帰結ともいえる。人々が、多様な生き方を知ったいわゆる成熟
社会では、少子化は当然の結果として起こる。
 いい言葉ではないが、「貧乏人の子だくさん」という言葉があった。この言葉がその辺りをよく説
明しているように思う。
 少子化そのもの、それによって起こる問題の解消は、移民を受け入れて、あらゆる階層の人たち
が揃っている社会で可能となる。
 アメリカがいい例だ。しかし、それは格差社会であり、差別社会であるために、治安は極端に悪
い。
 単一民族の日本はその道を選べない。しかし、方法はある。グローバリゼーションの活用すること
だ。文字通り世界を一つの経済社会とみなして、生産拠点を国外に移すこと。
 これは、農業を含めて、あらゆる職種で可能なことである。
 国内では、自動化、ロボット技術を活用するとともに、相互扶助が必須となってくるだろう。

4. 官のリストラ、道州制と十大都市。三権の分立(首相公選制)など。

 民間の血の出るような経営努力を、政治・行政はやっているのだろうか。否、財政再建の名の下
に、国民にしわ寄せするが、自らは何もしていないと言っていい。
 経済は、利益を求めて、あらゆる駆け引きをし、いっさいの緩みも許さない。のんびりしていれ
ば、一気に、時代や周囲に飲み込まれ、姿を消す。
 しかし、政治は、誰も責任を取らない構造になっている。いわゆる、行政の無謬性という馬鹿げた
言葉が横行し、変化を拒む。
 政治・行政には、税金を最大限有効に使う責任があるはずだが、実際は、政治や行政の失敗
を、経済が、そして、国民が必死に繕っているように見えてならない。
 はやく、国家が自立しなければ、本当の意味の国益は守れない。「捻れ国会」の今が、変化への
絶好のチャンスなのかもしれない。
 日本では、ずっと以前から、司法、立法、行政の三権が独立していない。
 司法はもっと法律に準拠して、さばさばと捌かねばならない。憲法解釈を躊躇してはいけない。
 立法が、行政を支配している現在の議院内閣制は正しくない。しかも、実際には、巧妙に、行政
が立法を支配する妙な格好になっている。そこから色んなごまかしが横行する。
 首相を国民投票で選んで、行政のトップにすえるべきだ。立法のトップは、議会の議長であるべき
だ。そして、提案権と議決権は峻別されるべきだ。
 究極の官のリストラとして、道州制は実行すべきだ。但し、東京ほか十程度の、自前でやってゆ
ける都市はそのまま残すべきだろう。中国地方では、広島市が含まれる。道州市の区域は二十以
上を数える。中国州の州都は中海市の可能性も否定は出来ない。
 価値観の多様化する時代、選挙制度は中選挙区が正しい。

5. 求められる関西圏の繁栄。

 日本が世界に誇る大都市は二つ必要であり、それで十分である。それは、東京と大阪である。
 東京は、実力、景観ともに、ニューヨーク、ロンドンなど世界の五大都市の中にいるべきだ。格差
に気を遣うあまり、東京の角を矯めることに、わたしはにわかに賛成しない。
 一方、久しく、大阪に、東京に匹敵する活気を認めないのは寂しい。都市であっても、競争しな
がら成長するからである。
 石原都知事にまさる大阪府知事の誕生もまたれるが、何らかの仕掛けも必要だと思う。
 数十年おきに首都を移転するのも手段だが、それよりも確実に効果が上がるのは、皇太子両殿
下の関西への居住だろう。皇太子両殿下が成人されたら、その住居を京都御所か大阪城周辺に
移される。
 それによって、関西圏は、大きな象徴の存在の元に、自信を持って、東京に負けない発展を続
けるだろう。
 海外からの旅行者、特に賓客は、東京に入って、大阪に抜ける。

6. 国による科学技術への振興支援。

 残念ながら、科学技術は、兵器開発と連動しながらすすむ。そこを避けては通れない。
 中型ジェット旅客機の開発は必要だ。YS・11のジェット化がなされなかった理由をわたしは知ら
ない。
 国を自衛するのに、他国の兵器を使う理由もわからない。
 とくに、自前の戦闘機は欠かせない。ゼロ戦(零式艦上戦闘機)を作った技術者は切歯扼腕して
いるだろう。
 ロケット技術も大切。自前の宇宙飛行士を宇宙へ運ぶ力をめざす。その技術がなければ、月面
基地の建設は不可能。
 そして、IT技術革新。原子力平和利用。新素材。バイオテクノロジー。
 医療分野からも目が離せない。京都大学山中教授の、皮膚から万能細胞(幹細胞)には驚いた。

7. 生活の質の向上。より心豊かに・・・。

 「男の品格」、「女性の品格」、「日本人のしきたり」「鈍感力」など、日本人のあり方を問う本が売
れている。
 「清貧の思想」などが読まれたのはもっと以前だが、同じ流れの中にあったと思う。
 これらは全てが、日本人の生活の質を上げろと叫んでいるように思える。
 男女共同参画社会、週休二日制、ゆとり教育など、全てその方向に向かっていたのに、その本
質を知らなかったと言うほかない。
 ゆとり教育も、結局は、教育の質の改善には向かわなかった。英語、数学と科学、読書などに真
剣に目が向けられたとは思えない。

 教育においても、ゆとりの中で、きびしい「選択と集中」が求められていたのだと思う。

 人々は、「満れば欠くる・・・」「明けない夜はない」「日はまた沈む」など、いろいろな表現を使って
一喜一憂する。
 それだけに、リーダーが将来を正しく見定め、人々を納得させながら進まなければ、一層、不安
と混乱を煽ることだろう。