「米国で大規模なテロに直面して」

 私は米国中枢への同時テロが起こったとき、被害を受けた国防総省(ペンタゴン)に、約10キロと近いバージニア州フェアファックスにいた。
 医療・福祉や行政の研修のため、先月11日からの滞在になるが、そのちょうど1カ月後、まさか自分がこの世界を震撼(かん)させる事件を目の当たりにするとは思っても見なかったことである。


 その後、テレビはこの事件しか報道しなくなった。私は連日、テレビにくぎ付けになったのである。


 それにしても米国の立ち直りは早かった。こちらのテレビのタイトルは、事件直後の「アメリカへの攻撃」から、二日後には「回復するアメリカ」へと変わり、その翌日には、早くも「立ち上がるアメリカ」へと変遷していった。



 街中に星条旗が立てられ、自動車は星条旗の小旗をはためかせて走っている。今や、国民の愛国心は頂点に達している。
 米国が喪に服した15日。私自身、賛美歌をバックに大統領が行った演説には、涙を禁じることができなかった。



 翌日の新聞・テレビのタイトルは「一つになるアメリカ」だった。
 そして、その直後から「報復」という言葉がたびたびきこえてくるようになったのである。
 犠牲者が5千人を超えることが確実となる中、テロリストに対する米国の今後の厳しい対応が予想されている。そして、米国大統領の支持率は90%にも達しようとしている。
 しかし、こんな状況下にあっても、大統領に常に冷静でいてほしいと願う米国国民も少なくないように思う。


 ソ連崩壊後、比類なき超大国となった米国は、同時に世界の他の国々に対して重大な責任を背負っている。米国一国の利害に、地球や人類の運命をゆだねきってしまうわけにはいかないことを米国国民自身が知っているからだろう。
 ワシントン、ニューヨークには3万人の軍隊が配備された。CIAやFBIも活動している。今や世界で最も安全な地域と化しているかのようだ。


 ひるがえって日本はどうなのだろうか。一緒になって報復を叫んでいるとすれば、それは理解しがたいことである。
 今こそ、国連常任理事会やG8各国が結集して英知を絞るときのような気がする。政治は普段は人々から顧みられることが少ない。しかし、国や世界の運命を決めるのは、まさしく政治以外にはない。
 政治が最も頼りにされるとき、それが今だというのが私の実感である。